第2271号「自転車」の価値が高まる
2024.11.15
 ここ一週間ほどで、一年で一番しのぎやすい秋がやってきた。今年の夏は猛暑だったのて、爽やかな季節の訪れを楽しんでいる。さて、直線距離にして日本で一番長い天神橋筋商店街には、今日も中国からの観光客が道一杯に広がって闊歩している。もともとマナーなどあってないような国の人達で、しかも彼らは歩いているだけでお金を余り使わないから、はた迷惑甚だしいと、地元商店の人達は憤る。
 そんな事情を呑み込みながら、大阪の町は今日も元気だ。歩道には自転車が溢れ、身の危険を感じることすら幾度もある。雨の日、傘をさして子供を荷台に乗せ、スマホを見ながら颯爽とペダルを踏む女の人をしばしば目撃する。そんな曲芸さながらの光景に遭遇するのだ。大阪平野は川こそ多いが平坦で、自転車移動にもってこいの土地柄でもある。反対に坂道だらけの長崎と、隣に行くにも車を使う沖縄は自転車の普及率が低い。
 ところで、自転車利用そのものは近年、多彩な広がりを見せている。とくに大きな震災が起きた時や節電意識の向上、健康意識の高まりなどを受けて、自転車通勤はブームになっている。ただし自転車の生産量そのものは2007年の350万台をピークに下降線をたどり、2023年には電動アシスト自転車も含めて150万台と半分以下の水準にまで落ち込んでいる。
 日本に自転車が初めて持ち込まれたのは幕末期・慶応年間で、ミショー型(ベロシペード)であったと推定されている。この形式は、イギリスでボーンシェーカーとも呼ばれた。しかし、1980年代頃までは1870年(明治3年)に持ち込まれたとの説が定説とされてきた。日本での自転車製作も明治維新前後には始まっていたものとみられている。田中久重という人が、1868年(明治元年)頃、自転車を製造したとの記録が残っている。初期の日本国産自転車の製造には、車大工や鉄砲鍛冶の技術が活かされた。「自転車」という名称の使用は、1870年(明治3年)にまで遡ることができる。この言葉が定着するまでには、「西洋車」、「一(壱)人車」、「自在車」、「自輪車」、「のっきり車」といった名称が錦絵などに残っている。 
 最近では、趣味として長い距離を走ったり、街を自転車でぶらぶらと散歩する「ポタリング」が流行している。また飲食の出前や、流通業での自転車利用やレンタサイクルなど、自転車の活用方法も広がっており、近距離だけでなく、30分の道のりを自転車で通勤する人が増加。機動力のあるスポーツタイプが好まれる傾向にあるという。
time.png 2024.11.15 11:45 | pmlink.png 固定リンク | folder.png Column
第2270号 どんどん姿を消す「町の本屋さん」
2024.11.01
 1年中で最もしのぎやすい季節、秋がやってきた。さらに、そこには秋の夜長、ゆったりと本を読むという至福の愉しみが待っている。「読書の秋」到来である。6人兄弟の末っ子で、一番上の兄とは15歳離れていて、家の中には本がそこら中に転がっていた。岩波新書から月刊「少年」「少女倶楽部」まで、年齢に応じて読める本が読み放題の環境の中で育った。さらには、幼少のころに本なら何でもという濫読癖もついてしまった。とりわけ、この秋はテレビを見なくなって半年、読書の秋に拍車がかかっている。
 さて、その本を読むにも一番重要な役割を担ってきた書店が減り続けているという。それも昔からあった町の本屋さんがどんどん姿を消している。気軽に立ち読みをしようにも肝心の書店が無くなっているのだ。書店のない街が増えていると新聞が報じて話題になったことがあったが、事態はその後も加速度的に進行している。日書連にはこの何年か、「近くに書店がない、どこで本を買えばいいですか」という問い合わせが増えたという。ネットを使っていない人はアマゾンも使えず、本を買うこと自体が困難になっているのだ。
 確かに今はネット書店で本を買う人が増えたのだが、書店にはネット書店にない大きな楽しみがあった。新刊コーナーでどんな本が発売されたか見たり、ノンフィクションの棚を覗いたり、雑誌もいまどんな特集をやっているのか店頭を見るのが楽しみだった。書店には、本や雑誌との新しい出会いがあったのだ。
 この20年で日本の書店は半減した。2001年に2万1千店あった新刊書店は、1万店を割った。活字離れとアマゾンの影響で、と常套句のようにいわれる。しかし、毎日新聞社が実施した読書に関する世論調査でも読書率の顕著な低下はない。ここ数年は、確かに低下傾向にあるが、本を読む人が20年前の半分になったというようなことはない。書店の数が減った原因は複雑だ。まず新刊市場の縮小がある。1990年代なかばをピークに縮小し続け、半分以下になった。市場が半減して書店も半減したのだから帳尻が合っているようにも思うが、そう単純なものでもない。落ち込みが激しいのは雑誌だ。総売上はピーク時の3分の1。雑誌はもう商売として崩壊しているという。 
 世の中、バブル崩壊からずーっと不景気が続いている。貧乏な人が増えた。さらにインターネットの普及とスマートフォンの登場が情報環境を一変させた。昔は雑誌を眺めることでしていた気晴らしと暇つぶしをスマホでするようになった。書店をめぐる厳しい環境はまだ続く。
time.png 2024.11.01 10:51 | pmlink.png 固定リンク | folder.png Column
第2269号 令和の「米騒動」を考える
2024.10.15
 今日(10月6日)も、日本一長い天神橋筋商店街は歩くのもままならないほど人で溢れ返っている。その大半は、韓国、台湾、香港などのアジアからやってきた旅行客で、家族連れと思しき人達が大声で喋りながら闊歩している。国策で訪日を制限している中国からの人達がいなくてこの有り様なのだ。小欄が行きつけの小さな喫茶店まで数人連れで入ってくる。店内はとてもざわついて、静かに新聞を読みながらコーヒーを飲む雰囲気ではない。この訪日ブーム、いつまで続くのだろうと思ってしまう。
 そんな中の8月、とんでもない事態が起きた。店頭から米が消えたというのだ。令和6年8月現在、新聞やテレビで米が無い、と騒がれている。実際にスーパーの店頭に足を運ぶと多くのスーパーで米売場の商品が無くなり、「入荷予定なし」などの記載が見られた。現在、流通しているのは主に令和5年産の米である。9月から10月にその年の新米が出るため、8月は前年産米の在庫を消化するタイミングであり、米の在庫量は少なくなる傾向にあるが、それでも小売店頭から米が無くなることは珍しい。なぜ、令和5年産米は店頭から消えたのか。令和5年は、米に関していえば「異常」な年であった。日本で一番、米の生産量が多い都道府県である新潟県の米の1等米比率が例年は80%程度であるのに対し、コシヒカリ 、うるち米全体で過去最低を記録した。令和5年産米は、新潟を筆頭に全国で1等米比率が低い結果となった。
 その要因は、記録的な夏の暑さによる高温障害といわれている。高温障害が発生すると米が白くなってしまい、等級が下がる要因となる。出穂後に台風などの影響でフェーン現象が重なったことで高温障害が発生したほか、新潟においては8月の降水量が少なく、水不足が追い打ちをかけたといわれている。
 農水省による米の作況指数は101であったことから、等級は低いものの米の量は確保できたと考えられたが、令和5年産米の場合、高温障害の影響からか精米したときに割れが発生するなどの要因で、精米の歩留まりが非常に悪かったといわれている。そのため、精米歩留りを考慮すると実際の作況は100を切っているものと思われる。
 高温障害による米の品質低下と、それによる精米歩留りの悪化によって、令和5年は「隠れた米の不作の年」であったといえる。とくに最近は、お米はあって当然と思われてきた。当たり前と思っていたことが、実はそのことに携っている人達のたゆまぬ努力の賜物でもあったのだ。
time.png 2024.10.15 10:50 | pmlink.png 固定リンク | folder.png Column
第2268号 今年も「ヤーンボミング」の季節がやってきた
2024.10.01
 今月、マイドームおおさかで開かれた「OSAKA手づくりフェア2024」は2日間で3万人を動員、コロナ禍前の水準に戻り、会場は千客万来の賑わいを見せた。手づくり関連のイベントに関しては、今まで開催されることが当たり前のように感じてきたが、その裏に主催者の並々ならぬ労力が感じとれるイベントとなった。
 わが国で、手づくり関連のイベントがはじめて開かれたのは、東京や大阪ではなく、京都だったと記憶する。新聞を紐解いても、1979年(昭和54年)に京都市勧業館(現在のみやこめっせ)で開かれ、1万人を動員したとある。そして1980年代に入って、東京て日本ホビーショーがスタート。以後50年近くの歳月が流れたが、コロナ禍を除いて途切れることなく開催されてきた。日本ホビーショー、福岡の手づくりフェアin九州、名古屋のハンドクラフトフェアNAGOYA、OSAKA手づくりフェア、広島手づくりフェアなどが開かれてきた。しかし、コロナ禍でそれらのすべてが無くなってしまった時期があった。業界に牽引役がなくなり、活気に乏しい時期が続いた。
 業界のイベントには、ハンドメイドを通して人が集うことの温かさ、楽しさ、そしてやさしさをアピールする力があり、多くの手づくりファンを魅了し続けてきた。展示会の持つパワーは業界を支えるひとつの柱となっている。
 そんな中、業界が仕掛けるイベントではなく、地域ぐるみの楽しいイベントが11月に行われる。東京・豊島区の都立南池袋公園の木々にニットアートを飾り付けるワークショップ「としま編んでつなぐまちアート2024」で、今年で4回目を迎える。この作業を行っているのは、豊島区と地域住民で運営する「南池袋公園をよくする会」で、園の魅力向上のための取り組みに参画している。 今年もサンシャインシティとエリアマネジメンとともにプロジェクトチームの一員として、新しい池袋のアート&カルチャーを創出。このイベントはすでに9月から来年1月まで実施されている。
 これらのチームメンバーにより、2021年より始まった「としま編んでつなぐまちアート」は、編みもので公園の木々・建物を飾るニットアート「ヤーンボミング」を通して、池袋に愛着を持つ人々と一緒に新しい池袋のアート&カルチャーを創出するプロジェクト。豊島区立南池袋公園を含む池袋エリア内の8か所でニットアートを展示し、池袋のまちを彩っている。そして。今年も地域の人達と一緒に制作したニットアートを公園の木々に飾りつけるワークショップも開催される。
time.png 2024.10.01 10:13 | pmlink.png 固定リンク | folder.png Column
第2267号 消費者の購買意欲をどう喚起していくか
2024.09.15
 このほど開かれた「OSAKA手づくりフェア」で出会ったメーカーの出展者。出品商品に興味と関心を持ってくれる人は多いが、なかなか買ってくれないと嘆いていた。売ることが目的ではないにしても、例年に比べてもお金を払って手に入れたい人が少なかったという。国内の調査機関によると、消費者の購買意欲は拡大するも物価高の影響による「コスパ」「メリハリ」「節約」を意識した価値観の増加が目立つようになっていると発表した。全国20歳から79歳の男女5,000人を対象にしたWEBアンケート「国内消費者意識・購買行動調査」で明らかになった。昨年度調査と比較可能なカテゴリーのすべてで「1年前と比較して消費金額が増えた/大幅に増えた」とする層が拡大している。「外食」「旅行」などソト向き支出は、全ての年代で消費が活発化しており、特にシニア層での回復が顕著に出てきた。しかし、各調査項目で3割は「消費金額が減った/大幅に減った」と回答しており、消費を控える傾向も全般的に続いている。
 昨年に引き続き、消費金額の増減要因は消費金額が増えた、減った層ともに「物価高騰」が上位を占める。中でも生活必需品である「食料品」「飲料」「日用品」においては、消費金額が増加した層の半数が「物価高騰」を理由としており、相次ぐ値上げにより必要に迫られて消費金額が増えたことがわかる。価格高騰が日常生活に影響を及ぼしていることが示された。
 「今後、消費額を増やしたいもの」については、4割以上が「増やしたいものはない」と回答していることは昨年と変化はない。しかし今年度の結果では、世代が上がるほど「増やしたいものはない」と回答した割合が高く、シニア世代である70代(48.5%)と20代(35.6%)では10ポイント程度の差がうかがえる結果となった。
 消費が活発化している「外食」「旅行」については、消費額を増やしたい項目でも上位となっており、特に「国内旅行」においては昨年度調査より割合は減少したものの60代以上のシニア世代のソト向き消費志向が高い傾向が示された。反対に、同じく上位の「貯蓄/投資」は特に若年層での回答割合が高いことは昨年度調査から継続しており、働き世代である40代を喚起するでは昨年よりも2ポイント程度増加し、貯蓄/投資を増やしたいと回答した層が3割を超えた。物価高による家計への負担が増えている中で、先行き不透明な将来に備える意向がうかがえる結果となった。こんな状況の中で消費者の購買意欲をどう喚起していくか、永遠のテーマでもある。
time.png 2024.09.15 10:56 | pmlink.png 固定リンク | folder.png Column

- CafeLog -