第2273号「新語・流行語大賞」から見る2024年 
2024.12.15
 今年も12月、「師走」がやってきた。日々の暮らしも、仕事も取り立てて変化がないのに、何となく気忙しくなってしまう。「師走」は、陰暦12月の異称で、語源については、この月になると、家々で師(僧)を迎えて読経などの仏事を行うため、師が東西に忙しく走り回るため、「師馳(しは)せ月」といったのを誤ったものという説、また、四時の果てる月だから「しはつ(四極)月」といったのが、「つ」と「す」の音通(おんつう)によって「しはす」となったのだとかの説が伝わる。この言葉のもつ語感が、年の暮れの人事往来の慌ただしさと一致するためか、陽暦12月の異称としても親しまれ、習慣的に用いられている。 
 そんななか、今年も「新語・流行語大賞」が発表された。これは1年の間に話題になった出来事や発言、流行などの中からその年を代表する言葉を選ぶ賞で、12月2日にノミネートされた30の言葉から、今年のトップテンが発表された。1月に能登半島地震が発生し、暗いニュースからのスタートとなったが、パリ・オリンピック、大谷選手の活躍など、スポーツにおける明るい話題も数多くみられた。この1年について「物価高に苦しんだ」と振り返る声が多く聞かれたほか、印象的な出来事として「猛暑」や「闇バイト」などを挙げる人も多かった。
 そして、今年の年間大賞には「ふてほど」が選ばれた。民放のテレビドラマ「不適切にもほどがある!」を略した言葉だというが、小欄自身も、周りの人達にも、この言葉を口にした人がいないという不可思議な選定となった。このドラマの主人公を演じた阿部サダヲさんですら、ドラマで口にした以外、一度も「ふてほど」と言ったことがないと述べている。国民のほとんど誰もが知らない言葉が流行語大賞に選ばれるという前代未聞の出来事が起きたのだ。ちなみに、テレビドラマに関する言葉が年間大賞に選ばれたのは11年ぶり。2013年にNHKの連続テレビ小説「あまちゃん」のセリフ「じぇじぇじぇ」以来だという。
 ほかにも、アサイーボウル、インバウン丼、裏金問題、界隈、カスハラ、初老ジャパン、新紙幣、ソフト老害、トクリュウ、南海トラフ地震臨時情報、はいよろこんで、はて?、50-50、ふてほど、ホワイト案件、名言が残せなかった、もうええでしょう、やばい・かっこよすぎる俺、令和の米騒動——色んな言葉が並んだが、どれをとっても例年に比べて小粒なのは否めない。それだけ、今年が平穏無事な年だったともいえるが、来たるべき2025年につながる新しい芽の登場に期待したい。
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第2272号 日本の人口の将来を考える
2024.12.01
 毎年のことだが、12月の声を聞くと心がざわつく。町そのものも、道行く人も何とはなしにせわしなくなってきて、歳末特有の雰囲気がそこここに漂う。わが町天神橋筋も、インバウンドの人達も加わって、正月に向けて賑やかさが増していく。商人の町、大阪が活気に溢れ出すのだ。
 さて、今年の日本はどうだったのか。小欄が心に残った出来事を個人的に挙げてみた。
 ◇石川で震度7=能登に一時大津波警報◇日航機、海保機と衝突炎上=羽田空港◇日本初の月面着陸成功=探査機SLIM・JAXA◇石破内閣発足◇日本被団協にノーベル平和賞◇藤井聡太、最年少で永世称号=将棋◇新紙幣、流通開始=肖像は渋沢、津田、北里の3人◇最多56人届け出=都知事選告示=小池氏が都知事3選◇シンボル「大屋根」つながる=大阪・関西万博など、今年は全体に平穏な年であったため、話題の小粒感が否めない。
 そんな中、「人口戦略会議」が日本のこれからを決定づける人口の推移に問題を投げかけた。同会議は、国立社会保障・人口問題研究所の推計をもとに20代から30代の女性の数「若年女性人口」の減少率を市区町村ごとに分析した。それによると、2050年までの30年間で、若年女性人口が半数以下になる自治体は全体の4割にあたる744あり、これらの自治体は、その後人口が急減し、最終的に消滅する可能性があるとしている。10年前、2014年に行われた同様の分析に比べると「消滅可能性自治体」は152少なくなっている。
 これは、最新の人口推計で、将来の外国人の入国者が増加すると見込まれるためだが、有識者グループは、「実態として、少子化の基調は全く変わっておらず、楽観視できる状況にはない」としている。今回、新たに「消滅可能性自治体」と指摘されたのは99自治体で、前回は、東日本大震災の影響で対象とならなかった福島県の33自治体も含まれている。一方、今回、「消滅可能性自治体」を脱却したところは、239にのぼる。
 今回の分析では、2050年までの若年女性人口の減少率が20%未満にとどまっている、65の自治体を「自立持続可能性自治体」と名付け「100年後も若年女性が5割近く残っており、持続可能性が高いと考えられる」としている。
 また、大都市を中心に、出生率が低くほかの地域からの人口流入に依存している25の自治体を、出生率の向上に向けた対策が特に必要だとしている。その国の将来の命運を握る人口問題にはもっと真剣に向き合わなければならないと思う。
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第2271号「自転車」の価値が高まる
2024.11.15
 ここ一週間ほどで、一年で一番しのぎやすい秋がやってきた。今年の夏は猛暑だったのて、爽やかな季節の訪れを楽しんでいる。さて、直線距離にして日本で一番長い天神橋筋商店街には、今日も中国からの観光客が道一杯に広がって闊歩している。もともとマナーなどあってないような国の人達で、しかも彼らは歩いているだけでお金を余り使わないから、はた迷惑甚だしいと、地元商店の人達は憤る。
 そんな事情を呑み込みながら、大阪の町は今日も元気だ。歩道には自転車が溢れ、身の危険を感じることすら幾度もある。雨の日、傘をさして子供を荷台に乗せ、スマホを見ながら颯爽とペダルを踏む女の人をしばしば目撃する。そんな曲芸さながらの光景に遭遇するのだ。大阪平野は川こそ多いが平坦で、自転車移動にもってこいの土地柄でもある。反対に坂道だらけの長崎と、隣に行くにも車を使う沖縄は自転車の普及率が低い。
 ところで、自転車利用そのものは近年、多彩な広がりを見せている。とくに大きな震災が起きた時や節電意識の向上、健康意識の高まりなどを受けて、自転車通勤はブームになっている。ただし自転車の生産量そのものは2007年の350万台をピークに下降線をたどり、2023年には電動アシスト自転車も含めて150万台と半分以下の水準にまで落ち込んでいる。
 日本に自転車が初めて持ち込まれたのは幕末期・慶応年間で、ミショー型(ベロシペード)であったと推定されている。この形式は、イギリスでボーンシェーカーとも呼ばれた。しかし、1980年代頃までは1870年(明治3年)に持ち込まれたとの説が定説とされてきた。日本での自転車製作も明治維新前後には始まっていたものとみられている。田中久重という人が、1868年(明治元年)頃、自転車を製造したとの記録が残っている。初期の日本国産自転車の製造には、車大工や鉄砲鍛冶の技術が活かされた。「自転車」という名称の使用は、1870年(明治3年)にまで遡ることができる。この言葉が定着するまでには、「西洋車」、「一(壱)人車」、「自在車」、「自輪車」、「のっきり車」といった名称が錦絵などに残っている。 
 最近では、趣味として長い距離を走ったり、街を自転車でぶらぶらと散歩する「ポタリング」が流行している。また飲食の出前や、流通業での自転車利用やレンタサイクルなど、自転車の活用方法も広がっており、近距離だけでなく、30分の道のりを自転車で通勤する人が増加。機動力のあるスポーツタイプが好まれる傾向にあるという。
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第2269号 令和の「米騒動」を考える
2024.10.15
 今日(10月6日)も、日本一長い天神橋筋商店街は歩くのもままならないほど人で溢れ返っている。その大半は、韓国、台湾、香港などのアジアからやってきた旅行客で、家族連れと思しき人達が大声で喋りながら闊歩している。国策で訪日を制限している中国からの人達がいなくてこの有り様なのだ。小欄が行きつけの小さな喫茶店まで数人連れで入ってくる。店内はとてもざわついて、静かに新聞を読みながらコーヒーを飲む雰囲気ではない。この訪日ブーム、いつまで続くのだろうと思ってしまう。
 そんな中の8月、とんでもない事態が起きた。店頭から米が消えたというのだ。令和6年8月現在、新聞やテレビで米が無い、と騒がれている。実際にスーパーの店頭に足を運ぶと多くのスーパーで米売場の商品が無くなり、「入荷予定なし」などの記載が見られた。現在、流通しているのは主に令和5年産の米である。9月から10月にその年の新米が出るため、8月は前年産米の在庫を消化するタイミングであり、米の在庫量は少なくなる傾向にあるが、それでも小売店頭から米が無くなることは珍しい。なぜ、令和5年産米は店頭から消えたのか。令和5年は、米に関していえば「異常」な年であった。日本で一番、米の生産量が多い都道府県である新潟県の米の1等米比率が例年は80%程度であるのに対し、コシヒカリ 、うるち米全体で過去最低を記録した。令和5年産米は、新潟を筆頭に全国で1等米比率が低い結果となった。
 その要因は、記録的な夏の暑さによる高温障害といわれている。高温障害が発生すると米が白くなってしまい、等級が下がる要因となる。出穂後に台風などの影響でフェーン現象が重なったことで高温障害が発生したほか、新潟においては8月の降水量が少なく、水不足が追い打ちをかけたといわれている。
 農水省による米の作況指数は101であったことから、等級は低いものの米の量は確保できたと考えられたが、令和5年産米の場合、高温障害の影響からか精米したときに割れが発生するなどの要因で、精米の歩留まりが非常に悪かったといわれている。そのため、精米歩留りを考慮すると実際の作況は100を切っているものと思われる。
 高温障害による米の品質低下と、それによる精米歩留りの悪化によって、令和5年は「隠れた米の不作の年」であったといえる。とくに最近は、お米はあって当然と思われてきた。当たり前と思っていたことが、実はそのことに携っている人達のたゆまぬ努力の賜物でもあったのだ。
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第2268号 今年も「ヤーンボミング」の季節がやってきた
2024.10.01
 今月、マイドームおおさかで開かれた「OSAKA手づくりフェア2024」は2日間で3万人を動員、コロナ禍前の水準に戻り、会場は千客万来の賑わいを見せた。手づくり関連のイベントに関しては、今まで開催されることが当たり前のように感じてきたが、その裏に主催者の並々ならぬ労力が感じとれるイベントとなった。
 わが国で、手づくり関連のイベントがはじめて開かれたのは、東京や大阪ではなく、京都だったと記憶する。新聞を紐解いても、1979年(昭和54年)に京都市勧業館(現在のみやこめっせ)で開かれ、1万人を動員したとある。そして1980年代に入って、東京て日本ホビーショーがスタート。以後50年近くの歳月が流れたが、コロナ禍を除いて途切れることなく開催されてきた。日本ホビーショー、福岡の手づくりフェアin九州、名古屋のハンドクラフトフェアNAGOYA、OSAKA手づくりフェア、広島手づくりフェアなどが開かれてきた。しかし、コロナ禍でそれらのすべてが無くなってしまった時期があった。業界に牽引役がなくなり、活気に乏しい時期が続いた。
 業界のイベントには、ハンドメイドを通して人が集うことの温かさ、楽しさ、そしてやさしさをアピールする力があり、多くの手づくりファンを魅了し続けてきた。展示会の持つパワーは業界を支えるひとつの柱となっている。
 そんな中、業界が仕掛けるイベントではなく、地域ぐるみの楽しいイベントが11月に行われる。東京・豊島区の都立南池袋公園の木々にニットアートを飾り付けるワークショップ「としま編んでつなぐまちアート2024」で、今年で4回目を迎える。この作業を行っているのは、豊島区と地域住民で運営する「南池袋公園をよくする会」で、園の魅力向上のための取り組みに参画している。 今年もサンシャインシティとエリアマネジメンとともにプロジェクトチームの一員として、新しい池袋のアート&カルチャーを創出。このイベントはすでに9月から来年1月まで実施されている。
 これらのチームメンバーにより、2021年より始まった「としま編んでつなぐまちアート」は、編みもので公園の木々・建物を飾るニットアート「ヤーンボミング」を通して、池袋に愛着を持つ人々と一緒に新しい池袋のアート&カルチャーを創出するプロジェクト。豊島区立南池袋公園を含む池袋エリア内の8か所でニットアートを展示し、池袋のまちを彩っている。そして。今年も地域の人達と一緒に制作したニットアートを公園の木々に飾りつけるワークショップも開催される。
time.png 2024.10.01 10:13 | pmlink.png 固定リンク | folder.png Column

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