「3・11」から一年 復旧への道遠し
2012.03.15
「3.11東日本大震災」から1年が経った。その直後、東北地方を襲った大津波も含め1000年に1度の大災害といわれている。日を重ね、あれから365日。復旧(復興ではない)は遅々として進んでいない。こんな時こそ国が、政府(政治)が先頭に立って、国民の命を、暮らしを守らなければならないが、むしろ、その政府という存在が復旧を遅らせているようにさえ思える。些細なことと思われようが、私が震災後、一番心に引っ掛かったのが、閣僚全員が防災服というのか、ジャンパー姿でテレビカメラの前に現れた時だ。恰好に気を取られている時ではないだろう。政治家がやるべきことを完全に履き違えている。あっ、またあの政党特有のパフォーマンスをやっているという、イヤな気持にさせられた。目立ちたがりの当時の首相、菅さんが直ちに福島原発の見学(視察ではない)に出かけ、これが初期対策の活動を遅らせたといわれている。1カ月ほど前、震災後に立ち上げた20幾つかの復旧に関係する委員会、検討会の中で議事録が残されていたのは3つだけと、新聞やテレビが報じていた。ほかは、きれいさっぱり何の記録も残されていないという。小は小学校のホームルームから、職場の会議、国会審議に至るまで、およそ会議と名の付くものは、何らかの形で記録に残すのが当然と考えてきた。国の難局打破のために、急を要するから召集された会議であるはずなのに、行われた痕跡すら残っていないことが、まず信じられない。会議そのものが茶話会程度の認識であったのか、不毛の内容のない議論になることを見越して、あえて議事録を作成しなかったのか、何も決まらなかったので税金の無駄遣いとの指摘を恐れて、のち議事録を破棄したのか、真相は薮の中だ。ともかく民主党政権というのは議論好きだ。議論のために議論をやる、結果はどうでもいいと思える。議事録がないという今回の事態は、いみじくもそのことを立証した形となった。その議事録が残っていないことを糊塗するためか、最初の震災対策会議の模様を、当時の出席者の記憶やメモを頼りに作成した文書が提出された。これがまた、お粗末極まるもので、今の政治家の難局への意識の低さが露呈した内容のものだ。当時の官房長官、枝野さんは原発のメルトダウンはないと断言していたが、すでにその時、メルトダウンの可能性を指摘する発言があったとされる。そのことを言及されるや、そんな発言はまったく記憶にない、忘れたとの言い逃れに終始している。4億円もの金の使い道どころか、あったことすら記憶にないと言い張る元代表と、いい勝負だ。復旧の道遠し。心が暗澹となる。.
time.png 2012.03.15 14:51 | pmlink.png 固定リンク | folder.png Column

- CafeLog -