第2287号 今年も夏祭りの季節がやってきた
2025.07.15
今年も七夕のシーズンがやって来た。七夕(たなばた・しちせき)とは、季節の節目(節句)に行われる年中行事のこと。3月3日の桃の節句(ひな祭り)や、5月5日の端午の節句(子どもの日)などと並んで、節句の中でも重要な「五節句」のひとつに数えられる。7月7日の夜に、織姫と彦星が天の川を渡って1年に1回だけ出会えるという伝説にちなみ、日本各地でさまざまな行事やお祭りが行われている。中でも、宮城県の「仙台七夕まつり」や、神奈川県の「湘南ひらつか七夕まつり」などが有名だ。
そして夏が来ると、日本各地で夏祭りが開催される。盆踊りや御神輿、屋台など、伝統的な文化を楽しめるのが魅力のひとつ。そして生粋の大阪人としては、なんと言っても祭りといえば「天神祭」なのだ。5月に移転した会社から大阪天満宮は徒歩3分のところにあり、夕刻なると祭りに向けたお囃子の練習の音が流れてくる。大阪の天神祭は京都の祇園祭、東京の神田祭と並ぶ日本三大祭りのひとつ。川が主役の水都大阪ならではのページェントが繰り広げられる。
その天神祭は1000年余の歴史と伝統を有し、その大川での渡御行事は豪華絢爛を極め、とくに船渡御の荘厳華麗さは火と水の祭典である。例年、地元の大阪はもとより全国各地から多数の人達が集まり、100万人を超す人々が陸渡御の沿道や船渡御が展開される大川の両岸を埋め尽くす。
天神祭は、日本三大祭りの一つであり、生國魂神社の生玉夏祭、住吉大社の住吉祭とともに大阪三大夏祭りの一つでもある。とくに、7月25日の本宮の夜は、大川に多くの船が行き交う船渡御が行われ、奉納花火があがる。鉾流神事(ほこながししんじ)、陸渡御(りくとぎょ)などの神事も行われる。 24日宵宮(宵宮祭・鉾流神事・獅子舞氏地巡行)、25日本宮(本宮祭・神霊移御・陸渡御・船渡御・奉納花火)で祭りを締めくくる。
天下の台所と呼ばれた元禄時代(17世紀後半)以降、天神祭は浪速の繁栄のシンボルとして隆盛をきわめ、 享保年間(18世紀前半)には「講」という祭りを支える組織が誕生し、新たにお迎え人形も登場し、祭りの豪華さは全国に名を馳せる。 その間、天神祭には幾多の変遷があり、その存続が危ぶまれた時期もあったが、その都度、困難を打開し、伝統を守り、盛り上げていったのは浪速
っ子の土性骨と心意気といえる。
天神祭は今も、そうした人々の熱いエネルギーに支えられ、発展している。あと2週間、祭りが待ち遠しい日が続く。
そして夏が来ると、日本各地で夏祭りが開催される。盆踊りや御神輿、屋台など、伝統的な文化を楽しめるのが魅力のひとつ。そして生粋の大阪人としては、なんと言っても祭りといえば「天神祭」なのだ。5月に移転した会社から大阪天満宮は徒歩3分のところにあり、夕刻なると祭りに向けたお囃子の練習の音が流れてくる。大阪の天神祭は京都の祇園祭、東京の神田祭と並ぶ日本三大祭りのひとつ。川が主役の水都大阪ならではのページェントが繰り広げられる。
その天神祭は1000年余の歴史と伝統を有し、その大川での渡御行事は豪華絢爛を極め、とくに船渡御の荘厳華麗さは火と水の祭典である。例年、地元の大阪はもとより全国各地から多数の人達が集まり、100万人を超す人々が陸渡御の沿道や船渡御が展開される大川の両岸を埋め尽くす。
天神祭は、日本三大祭りの一つであり、生國魂神社の生玉夏祭、住吉大社の住吉祭とともに大阪三大夏祭りの一つでもある。とくに、7月25日の本宮の夜は、大川に多くの船が行き交う船渡御が行われ、奉納花火があがる。鉾流神事(ほこながししんじ)、陸渡御(りくとぎょ)などの神事も行われる。 24日宵宮(宵宮祭・鉾流神事・獅子舞氏地巡行)、25日本宮(本宮祭・神霊移御・陸渡御・船渡御・奉納花火)で祭りを締めくくる。
天下の台所と呼ばれた元禄時代(17世紀後半)以降、天神祭は浪速の繁栄のシンボルとして隆盛をきわめ、 享保年間(18世紀前半)には「講」という祭りを支える組織が誕生し、新たにお迎え人形も登場し、祭りの豪華さは全国に名を馳せる。 その間、天神祭には幾多の変遷があり、その存続が危ぶまれた時期もあったが、その都度、困難を打開し、伝統を守り、盛り上げていったのは浪速
っ子の土性骨と心意気といえる。
天神祭は今も、そうした人々の熱いエネルギーに支えられ、発展している。あと2週間、祭りが待ち遠しい日が続く。
第2286号 多くの手づくりファンを魅了してきた「イベント」
2025.07.01
6月20・21日の2日間、名古屋市中小企業振興会館・吹上ホールで「ハンドクラフトフェアin NAGOYA2025」が開催された。トレードショーと消費者ショーの複合要素で構成する、東海地区最大の手づくりイベントで、今回もさまざまなイベント企画をまじえて手づくりの楽しさを発信した。会場では、毎回人気を集めるアパレルソーイング、刺しゅう、キルト、リボンアートなどのエキジビションコーナーも充実。さらに、今回はハンドメイド素材の未知なる魅力と出会う「素材博覧会」、「ビーズアートショー」も同時開催され、多角的により深く手づくりの楽しさをアピールした。トークショーなどが行われたステージ前は毎回、超満員の盛況で人気ぶりを見せつけた。
わが国で、手づくり関連のイベントがはじめて開かれたのは、東京や大阪ではなく、京都だった。新聞を紐解いても、1979年(昭和54年)に京都市勧業館(現在のみやこめっせ)で開かれ、1万人を動員したとある。そして1980年代に入って、東京で日本ホビーショーがスタート。以後50年近くの歳月が流れたが、コロナ禍を除いて途切れることなく開催されてきた。今年4月開催の東京の「日本ホビーショー」、福岡の「手づくりフェアin九州」、名古屋の「ハンドクラフトフェアinNAGOYA」、大阪の「OSAKA手づくりフェア」、そして「広島手づくりフェア」などが全国各地で開かれてきた。
しかし、コロナ禍でそれらのすべてが無くなってしまった時期があり、業界に牽引役がなくなり、活気に乏しい時期が続いた。業界のイベントには、ハンドメイドを通して人が集うことの温かさ、楽しさ、そしてやさしさをアピールする力があり、多くの手づくりファンを魅了し続けてきた。展示会の持つパワーは業界を支えるひとつの柱となってきたのである。今年4月の東京ビッグサイトで開催された「日本ホビーショー」には、3日間で約10万人(100、315人)のホビーファンが来場し、盛況裡に閉幕した。
そんな状況下、現在に至って、名古屋のハンドクラフトフェアが今回で終了、大阪の「OSAKA手づくりフェア」も昨年の開催をもって終わってしまった。時代が流れ、その役割が無くなってしまったのではなく、イベントを主催する団体や組合に、開催を維持する力(情熱も含めて)が無くなってしまったのだ。その業界が持つ魅力をアピールするイベントを自らの手で閉じてしまう。40〜50年続いてきた歴史にピリオドを打つ。非常に残念なことと言わざるを得ない。
わが国で、手づくり関連のイベントがはじめて開かれたのは、東京や大阪ではなく、京都だった。新聞を紐解いても、1979年(昭和54年)に京都市勧業館(現在のみやこめっせ)で開かれ、1万人を動員したとある。そして1980年代に入って、東京で日本ホビーショーがスタート。以後50年近くの歳月が流れたが、コロナ禍を除いて途切れることなく開催されてきた。今年4月開催の東京の「日本ホビーショー」、福岡の「手づくりフェアin九州」、名古屋の「ハンドクラフトフェアinNAGOYA」、大阪の「OSAKA手づくりフェア」、そして「広島手づくりフェア」などが全国各地で開かれてきた。
しかし、コロナ禍でそれらのすべてが無くなってしまった時期があり、業界に牽引役がなくなり、活気に乏しい時期が続いた。業界のイベントには、ハンドメイドを通して人が集うことの温かさ、楽しさ、そしてやさしさをアピールする力があり、多くの手づくりファンを魅了し続けてきた。展示会の持つパワーは業界を支えるひとつの柱となってきたのである。今年4月の東京ビッグサイトで開催された「日本ホビーショー」には、3日間で約10万人(100、315人)のホビーファンが来場し、盛況裡に閉幕した。
そんな状況下、現在に至って、名古屋のハンドクラフトフェアが今回で終了、大阪の「OSAKA手づくりフェア」も昨年の開催をもって終わってしまった。時代が流れ、その役割が無くなってしまったのではなく、イベントを主催する団体や組合に、開催を維持する力(情熱も含めて)が無くなってしまったのだ。その業界が持つ魅力をアピールするイベントを自らの手で閉じてしまう。40〜50年続いてきた歴史にピリオドを打つ。非常に残念なことと言わざるを得ない。