第2205号「コト消費からイミ(意味)消費へ」
2022.03.01
最近、何も買っていないことに気づいた。コロナ禍、会社と家の往復だけで、どこにも出かけないこともあって、本当に買い物をしなくなった。そんななか、世の中の消費の形も大きく変化してるという。日常生活に必要なモノ以外、モノを買うという行為そのものが、店舗からインターネットへ移行しており、その傾向はますます強まっているというのだ。買う場所、買い方が多様化してきたことで、ユーザーは「欲しい」と思った瞬間に、「いつでも」「どこでも」商品を購入できるようになり、消費行動は大きく変化した。
2000年代初頭、「消費はモノからコトへ」といわれるようになった。「ただ単にモノを売るのではなく、経験・体験することの価値を訴求することによって商品サービスの消費が促されることが重要」といわれるようになった。そして近年、「コト消費からイミ(意味)消費へ」と、シフトの変化が起こっている。日本でモノ消費からコト消費への移行が進んだといわれているのは、1990年代後半から2000年代ごろ。高度経済成長期からバブル期までのモノ消費の時代に人々が消費していたのは、商品やサービスそのもので、言い換えれば、商品・サービスの機能であった。70年代ごろの人々は、最新型の家電など暮らしを豊かにする商品の購入を通じて物質的な豊かさを実感していた。また、80年代には、ブランドもののアイテムや輸入車など、流行のモノを所有することで他人と差別化しようとする傾向が見られるようになった。しかし、90年代後半になると、人々はすでに多くのモノを所有している状態になり、商品やサービスがあふれる中で、「欲しいモノが特にない」と感じるようになり、より精神的な豊かさを求めるようになる。そこで現れ始めた消費行動がコト消費で、「消費はモノからコトへ」へと向かう。このコト消費は、モノやサービスを購入することで得られる体験を消費することで、コンサートやスポーツ観戦などのイベント、スキーやハイキング、旅行などに加え、モノを買うときにも「こんな体験ができる」という発想で消費するようになる。このように、自らも同じ体験をしようと消費行動をするのが、コト消費といえる。もちろん、手づくり関連もこの範疇に入る。
一方で、人や社会への貢献や、地球に優しいことを重視する消費者も増えており、こうした価値観は、従来のモノ消費ともコト消費とも違う「イミ消費」という新しいトレンドが生まれた。
時代は常に変化しているのだ。
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第2204号 書店がどんどん減っていく
2022.02.15
本を読むのが好きである。作家もジャンルもテーマも何もない。いわゆる濫読といわれるもので、一種の活字中毒者なのだ。数年前、片づけの業者に入ってもらって断捨離をした。部屋に2000册を超える本があり、その内の半分くらいは読んだのかどうか定かではないものだった。ヒマがあれば、自然に書店に足が向く。それも、紀伊国屋や旭屋書店、ジュンク堂書店など大型店には行かない。街の片隅にあるこじんまりとした本屋で、じっくりと読みたいものを探す。至福の時が流れるのだ。ところが、その書店がここに来て加速度的に減っているという。わが町天神橋筋商店街の南北2.6kmの中にも、古本屋を除くと、2軒しか本屋が無くなってしまったのだ。日本書店商業組合連合会によると、今は書店数は全国で8000店くらい、ピーク時の3分の1に減ったという。書店の数が一番多かったのは1996年だが、その時は27,000店くらいあったといわれる。そんな中で、ネット書店の売り上げは伸びてはいる。しかし、リアル書店がなくなった分がそのままネットに移行しているわけでなく、本を読むことそのものが減っている。つまり書店が街から消えてゆくのに合わせて、読書そのものがなくなっていっているとい
うわけだ。この20年で日本の書店は半減した。2001年に21,000店あった新刊書店は1万店を割った。活字離れとアマゾンの影響と、常套句のようにいわれるが、それは正確ではない。たとえば毎日新聞社の読書世論調査でも読書率の顕著な低下はない。年によって増減があり、ここ数年は低下傾向にあるが、本を読む人が20年前の半分になったというようなことはない。たしかにアマゾンは売り上げを伸ばしているようだが、その影響は限定的なものである。もともと書店は大半が個人商店として立ち上がってきた。日本に活字や本のある生活が新しい文化として芽生えていった戦後すぐの時期、日本全国のいろんな街の駅前に小さな本屋ができて、日本の出版文化を担ってきた。一方で、時を経て電子書籍が誕生し、出版界も大きな変貌をとげるが、これも、紙の本を読んでいた人がそのまま電子で読むようになったかといえば、コミック以外はそうでもない。紙の本が減った分、電子書籍が伸びているのでなく、本を読むこと自体が減っている現実がある。書店の数はその国の文化度のバロメーターともいわれる。そして、その減少は国の未来にとっても由々しき問題なのである。今朝も、地下鉄の中では寝ている以外の9割の人がスマホを操作していた。日本国民の行く末が案じられる。
time.png 2022.02.15 10:03 | pmlink.png 固定リンク | folder.png Column
第2203号「バレンタインデー」がやってくる
2022.02.01
今年も、間もなくバレンタインデーがやってくる。いまや、国民の一大行事であり、一億総白痴化現象の先がけともなった行事である。商魂たくましい都心のデパートでは、催物フロアすべてがチョコレート一色に染まる。何を騒いでいるのだと思う半面、この年になっても誰かチョコレートをくれないかなと思ってしまう。ひと昔前、夜な夜な飲み歩いていた頃は、かなりの数の義理チョコをいただいた。知り合いのひとりは、家に持って帰ると、奥さんに問いつめられるので、庭で飼っていた犬にやっていたという。それが元で虫歯になったかどうかは定かではない。そんなバレンタインデー。実は、その贈り物の定番がチョコレートなのは日本独自の文化という。アメリカでは、日本とは逆で男性から女性にプレゼントを贈るのが一般的だそうだ。バレンタインデーの起源には諸説あるものの、キリスト教司祭である聖ウァレンティヌスが殉教した日という説が広く信じられている。その日から1,000年以上経過した14世紀以降、2月14日は恋人同士が贈り物を交換するイベントとして定着していった。聖バレンタインを悼む宗教行事だったバレンタインデーが、現在のように「恋人たちの日」とされるようになった理由についてはいろいろの説があり、その真実にはたどりつけないでいる。日本で初めてバレンタインデーが紹介されたのは、1936年2月12日に神戸で発行された外国人向け英字新聞に掲載された広告だったという。神戸のチョコレート会社が「バレンタインデーには愛する人にチョコレートを贈って愛を伝えましょう」とアピールした、ロマンチックなマーケティング戦略だった。全国的に広がったのは1960年代のようで、チョコレート会社がこぞって「この日は女性から男性へ愛を告白する日」と謳い、ハート形のチョコレートを発売しはじめた。このキャンペーンが女性の心を捉えて徐々に盛り上がり、現在のような一大イベントに成長したのだ。90年代のバブルの頃には、このプレゼント大作戦が過熱しすぎ、中止にする学校も出てきたほどだ。職場や学校での男性の人気のバロメーターとなり、格差がはっきり現れる事象ともなった。ともあれ、それまで中元やお歳暮といった、儀礼的な贈り物文化が中心だった日本にあって、バレンタインデーは個人で物を贈りあうという新しい文化誕生のきっかけともなった。日本では商業ベースに乗せられ過ぎている傾向はあるものの、プレゼントは人の心を和ませてくれる。
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第2224号 「当たり前」のことができる日本人を称賛
2022.01.15
 令和4年もあと3週間、世界も日本も比較的平穏な1年だった。そんな中でも年明けから、さまざまな出来事がテレビ、新聞を賑わせた。2022年重大ニュースとして挙げられるのが、ロシアのウクライナ侵攻や冬季オリンピック・パラリンピック、成人年齢の引き下げ、参議院議員選挙、異常気象等、さまざまなニュースが世界や日本を駆け巡った。小欄にとって一番ショックだったのが、奈良市の近鉄・大和西大寺駅付近で、元内閣総理大臣の安倍晋三氏が凶弾に倒れ、命を失ったことだ。未成熟な国家ならまだしも、安定した平和な法治国家での凶行であり、その報に接した時、俄かには信じることができなかった。応援演説中に、背後から銃撃を受けたもので、狙撃した人物は殺人未遂罪で奈良県警察に現行犯逮捕された。安倍氏は心肺停止の状態で奈良県立医科大学附属病院に搬送されたが、病院で死亡が確認された。背後に政治の影も見当たらず、いまだ事件の真相はわかっていない。
 さて、12月12日に、令和4年の一年の世相を表す【今年の漢字】に「戦」が選ばれた。京都市東山区の清水寺において日本漢字能力検定協会が発表した。「今年の漢字」は1995年に始まり、今年で28回目。師走の恒例イベントとなっている。ちなみに過去7年では◇2021年「金」◇2020年「密」◇2019年「令」◇2018年「災」◇2017年「北」◇2016年「金」▽2015年「安」となっている。
 ところで、今、日本中の人々を熱狂させているカタールでのワールドカップ・サッカー大会。下馬評では決勝トーナメント進出すら危ういと見られていた日本チームだったが、12月1日に行なわれたスペインとのグループE最終戦で2対1の逆転勝利を収めた。夕方のニュース番組でスタジアムが映し出され、ピッチ上での激闘に加え、世界中に配信されたある光景が話題を呼んでいる。スペインと日本の試合で、終了を告げる笛とともに会場の日本サポーターは歓喜に満ち溢れていたが、すぐに切り替えてスタンドに落ちているゴミを次々と拾い上げゴミ袋に入れていったのだ。現地の女性レポーターがその行為について訊ねると、若い日本人男性が「当たり前」のことと答えた。
 「当たり前」という言葉を紐解くと、「誰がどう考えてもそうあるべきだと思うこと、当然なこと」という意味で使われる。「今回のワールドカップで日本が一番魅力的だ。フィールドの内外問わず、日本のファンは興味深く尊敬に値する。試合後はスタジアムを綺麗に掃除する」と発信され、やって「当たり前」のことを「当たり前」にできる日本人の素晴らしさが世界に発信されている。
time.png 2022.01.15 11:17 | pmlink.png 固定リンク | folder.png Column
第2202号 新たな社会への対応が要求される1年に
2022.01.15
今年の元旦は家から一歩も出ることなく、訪れてきた長男一家と過ごした。例年なら、近くの氏神さんにお詣りしてからお屠蘇とお節料理をいただいて新年を祝うが、まだくすぶっているコロナ禍もあって、静かにじっと三が日を送った。しかし退屈はしない。「箱根駅伝」があるからだ。2日と3日の午前中はあっという間に時間が過ぎる。ただ走っているだけの画像が延々と流れるだけ。何が面白いのか、自分でも判然としない。人類が初めて生み出したスポーツが徒競走だと思う。以来、何百年も全く変わることなく速さを競ってきた。その間変わったことと言えば、裸足から靴を履きだしたことくらい。まさにあらゆる競技の原点なのだ。その駅伝は、正式には「東京箱根間往復大学駅伝」という。関東の大学対抗で競う「箱根駅伝」は往路と復路のレースが2日間にわたって行われ、テレビに写し出される、その走る様子をひたすら眺めるのだ。今年は青山学院大が大会新記録で2年ぶり6回目の総合優勝を果たした。さて、今年は暦の関係もあって、4日から本格的に世の中が動き始めた。コロナウイルスの感染拡大から既に2年が経過しようとしているが、いまだ終息が見えておらず、まだまだこの闘いは継続しそうな状況下での年明けとなった。そんな中、コロナウイルスは次々と変異し、増殖し続けている。昨年はデルタ株が猛威を振るい、そして昨今はオミクロン株の感染が驚異的なスピードで拡大している。コロナ禍が始まった当初は、コロナが終息すれば、元の社会に戻るという声もあったが、この2年間で変化の連鎖は止まることなく、もうコロナ前の社会に戻ることは想定しづらい状況に立ち至っている。今では、人々の行動制限が長期化したこともあり、オンライン会議やテレワーク等、人々が移動することなく仕事ができるといった、新たな生活様式へ変化してきた。お家時間が長期化することで、人々が関わるあらゆる部分にコロナ禍が大きな影響を与えている。一方で、様々な変化が起きる中、コロナ禍によって、デジタル技術が広く利用されるようになった。その進化のスピードが加速したことは大きな進歩であると言える。デジタル技術が家やオフィス、医療、行政システム等を変化させ、ウィズコロナの社会を大きく動かしている。今後コロナが終息しても、コロナによって出現した新たな社会や環境への対応が要求される。新しい年は未体験の領域へのチャレンジの年になりそうだ。
time.png 2022.01.15 09:36 | pmlink.png 固定リンク | folder.png Column

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