第2214号 世の中は「外から内」へ
2022.07.15
参議院選挙が終わり、町は静けさを取り戻した。今までなら、そう書くところだが、今年は選挙運動期間中も、選挙カーを目にすることも少なく、ひと昔前とは違って随分静かで町の雰囲気も様変わりしたように感じる。そんな中、安部元首相が撃たれて死亡したというニュースが飛び込んできた。温厚な中に決断力もあり、とくに外交面では手腕を発揮し、国際社会の中で確固たる日本の地位を築いた人でもあった。犯人は、主義主張の違いや、ましてテロでもなく、何となく邪魔なものは消すという単純極まりない動機で犯行に及んだという。わが国にとっても惜しい人を亡くした、その喪失感は大きい。また、暑い夏がやってきた。小生もどこにも出かけず、自宅と会社の往復のみの毎日を過ごしている。「平凡な中にこそ幸せがある」とするなら、間違いなく幸せな日々を送っている。ほぼ100%、仕事が終われば家にまっしぐらの毎日。では、世の中の人達は一帯どう過ごしているのだろうか。興味は尽きない。20~50代の働き盛りの男性を対象としたアンケート調査によると、コロナ禍により仕事後の外出をともなうプライベートな予定は半減し、4人に1人は平日の仕事後に自宅でやることがなくて困る「帰宅後難民」であることが判明した。一方、夜時間の過ごし方のバリエーションが多いほどプライベート充実度が高い傾向があるという。また夜の過ごし方の変化によって比較的ストレスを溜めていなかった20代男性は、他の年代と比較すると、コロナ禍をきっかけに「自宅での勉強」や「自宅でのギャンブル」を始めていたことがわかった。コロナ禍前と比較すると、終業後に外に遊びに行く機会は週1.2回から週0.6回に半減したともいう。平日の帰宅後、終業後の夜の時間帯に余暇として自宅でしていることに関しては、コロナ禍前は「家族や友人との食事」55.4%が最多で、続いて「ショッピング」43.1%という結果だったが、現在は「インターネットなどの動画視聴」46.6%が1位、2位は「ネットサーフィン」43.4%という順になっている。さらに、外出する機会が減ったことで、食料品や日用品もオンラインで買うことが増え、家での時間を「テレビ、動画配信サービスの番組視聴」に多く費やしており、本・コミック・雑誌・ミュージック・DVDなどの購入頻度も増える結果となっている。また、コロナの影響で家の中でできる趣味を持つ機会も増えている。ハンドメイドにとっては絶好の機会が訪れているようにも思えるのだが...。
第2213号 インフレの時代がやってくる
2022.07.01
日本はこの夏から秋にかけて値上げラッシュの時期を迎えようとしている。政治も経済も、ほぼ何事もなく推移した平成の30数年間に比べ、これからの令和の時代は、激動期がやってくる予感がする。そのベースには、新型コロナウイルスの大流行があり、経済活動のさまざまなものが影響を受け、すでに色んな分野の価格が上昇している。このように、生産が消費に追いつかず価格が上昇しているのは世界的な傾向で、例えば2021年のアメリカの消費者物価指数は39年ぶりの高い伸びを示した。今のところ、このような問題が解消に向かう兆しは見えていない。日常のなかで利用するインフラや食料品・嗜好品などが主に値上がりしており、久しぶりにインフレの傾向が見え始めている。日ごろの生活で、今がインフレかどうかを意識する機会はあまりないのが現実だが、インフレによって国民の生活は大きく影響を受ける。卑近な例を上げると、サラリーマンの昼食なんかは好例で、600円から800円に値上がりするのは困るといった切実な問題が生じるのである。戦後から見ると、日本の消費者物価指数は大きく上昇した。1966年からの消費者物価指数を見たところ、1990年代前半までは一貫して右肩上がりといっていい状況下にあった。インフレ率は、今年と前年度の消費者物価指数から計算して算出するが。1985年までの間、インフレ率も数%ずつ上昇し続けた。また1989年から3年間続いたバブル景気のときにも、インフレ率は2~3%ずつ上昇し続けていたことが示されている。インフレ率を調べるには、今年の消費者物価指数から昨年の物価指数を引き、100を乗じることで計算可能で、この時代は数%ずつ毎年物価が上がり続けたといえる。近年における日本のインフレ率は、2014年を除いてほぼ横ばいとなっている。1990年代半ばから続くデフレ打開策として発表されたアベノミクス。その第一の矢「金融緩和政策」として掲げられていたインフレ目標は2%。日本のインフレ率があまり上がらないのには理由があり、ある程度満たされた状態にある先進国は、物価が上がれば消費意欲は下がり、このためインフレ率も上がりにくくなる。この状況での物価上昇の動き。さまざまな要因から見て、日本人は一部を除いてお金を使わなくなっている。今から始まる値上げがその動きに拍車がかかる。私達の業界小売店にも、とくに連休明けから売上げが目に見えて減少したとするところが多い。コロナの流行以前の水準に戻るのは難しいという。知恵とパワーで何とか難局を乗り切ってもらいたい。
第2212号 本を読みつづけたい
2022.06.15
ひと昔前になるが、当時の日本および日本人を揶揄して、評論家の大宅壮一氏が「一億総白痴化時代」と評したことがある。そして、今、まさにそんな時代が再来している。とくにテレビに至っては、世の中挙げてのお笑いブームもあって、面白ければいい、視聴率さえとれればいいという風潮に呑み込まれてしまっている。この言葉「一億総白痴」が生まれた1955年、大宅氏はまた「テレビというメディアは非常に低俗なものであり、テレビばかり見ていると人間の想像力や思考力を低下させてしまう」と看破している。今のテレビの現状を見ると、この予言はぴたり適中したといえる。とくに「お笑い」はテレビを席巻し、新聞の番組欄を眺める時、番組そのものがお笑いでなくとも、司会者やレポーターは半数近くがコメディアンや漫才師によって占められている。本来、情報を伝えるという仕事を担っているメディアが、世の中に迎合するあまり、今日の事態を招いてしまったとえる。テレビを見るという行為の対極に位置するのが「本を読む」という行為だろう。ところが近年、若者を中心に活字離れが進み、「本」そのものの存在がどんどん世の中から消え去りつつある。朝の通勤電車の中でも、スマートフォンのオンパレードで、皆せっせと画面を指でなぞっている。まれに中年男性が新聞に目を通しているぐらいで、まして本のページを繰る姿なぞ、ついぞ見かけることがなくなった。世の中のこうした動きは如実に本屋の存在も脅かしている。小欄は子供の頃から本を読むのが大好きだった。家の中にも、文庫本や新書がそこら中に転がっていた。本屋の数はその国の文化度を示すバロメーターにもなると言われる。日本は諸外国と比べても、人口比における本屋の数は多い。そんなわが国においても、最近、書店の閉店が相次いでいる。30年前、全国に28,000軒あった町の書店は、ここに来て6,000店舗に減ってしまった。実に5分の1にまで減少してしまったのだ。さらにいえば、書店が一軒も無い自治体が全国の2割に及んでいるという。散歩のついでにふらっと寄って立ち読みしたり、街中で人と待ち合せするときに時間つぶしに過ごしたり...町の書店はたくさんの本との出会いを与えてくれていた。たまたま書店で見かけて買った本との出会いが、その後の人生を大きく変えることもあった。それほど町の書店は私たちの欠かせない存在だった。本屋が減っていく現実の中でも、書店文化を守るため、そして自らを高めていくためにも、幾つになっても本を読み続けたいと強く思う。