第2286号 多くの手づくりファンを魅了してきた「イベント」
2025.07.01
6月20・21日の2日間、名古屋市中小企業振興会館・吹上ホールで「ハンドクラフトフェアin NAGOYA2025」が開催された。トレードショーと消費者ショーの複合要素で構成する、東海地区最大の手づくりイベントで、今回もさまざまなイベント企画をまじえて手づくりの楽しさを発信した。会場では、毎回人気を集めるアパレルソーイング、刺しゅう、キルト、リボンアートなどのエキジビションコーナーも充実。さらに、今回はハンドメイド素材の未知なる魅力と出会う「素材博覧会」、「ビーズアートショー」も同時開催され、多角的により深く手づくりの楽しさをアピールした。トークショーなどが行われたステージ前は毎回、超満員の盛況で人気ぶりを見せつけた。
わが国で、手づくり関連のイベントがはじめて開かれたのは、東京や大阪ではなく、京都だった。新聞を紐解いても、1979年(昭和54年)に京都市勧業館(現在のみやこめっせ)で開かれ、1万人を動員したとある。そして1980年代に入って、東京で日本ホビーショーがスタート。以後50年近くの歳月が流れたが、コロナ禍を除いて途切れることなく開催されてきた。今年4月開催の東京の「日本ホビーショー」、福岡の「手づくりフェアin九州」、名古屋の「ハンドクラフトフェアinNAGOYA」、大阪の「OSAKA手づくりフェア」、そして「広島手づくりフェア」などが全国各地で開かれてきた。
しかし、コロナ禍でそれらのすべてが無くなってしまった時期があり、業界に牽引役がなくなり、活気に乏しい時期が続いた。業界のイベントには、ハンドメイドを通して人が集うことの温かさ、楽しさ、そしてやさしさをアピールする力があり、多くの手づくりファンを魅了し続けてきた。展示会の持つパワーは業界を支えるひとつの柱となってきたのである。今年4月の東京ビッグサイトで開催された「日本ホビーショー」には、3日間で約10万人(100、315人)のホビーファンが来場し、盛況裡に閉幕した。
そんな状況下、現在に至って、名古屋のハンドクラフトフェアが今回で終了、大阪の「OSAKA手づくりフェア」も昨年の開催をもって終わってしまった。時代が流れ、その役割が無くなってしまったのではなく、イベントを主催する団体や組合に、開催を維持する力(情熱も含めて)が無くなってしまったのだ。その業界が持つ魅力をアピールするイベントを自らの手で閉じてしまう。40〜50年続いてきた歴史にピリオドを打つ。非常に残念なことと言わざるを得ない。
わが国で、手づくり関連のイベントがはじめて開かれたのは、東京や大阪ではなく、京都だった。新聞を紐解いても、1979年(昭和54年)に京都市勧業館(現在のみやこめっせ)で開かれ、1万人を動員したとある。そして1980年代に入って、東京で日本ホビーショーがスタート。以後50年近くの歳月が流れたが、コロナ禍を除いて途切れることなく開催されてきた。今年4月開催の東京の「日本ホビーショー」、福岡の「手づくりフェアin九州」、名古屋の「ハンドクラフトフェアinNAGOYA」、大阪の「OSAKA手づくりフェア」、そして「広島手づくりフェア」などが全国各地で開かれてきた。
しかし、コロナ禍でそれらのすべてが無くなってしまった時期があり、業界に牽引役がなくなり、活気に乏しい時期が続いた。業界のイベントには、ハンドメイドを通して人が集うことの温かさ、楽しさ、そしてやさしさをアピールする力があり、多くの手づくりファンを魅了し続けてきた。展示会の持つパワーは業界を支えるひとつの柱となってきたのである。今年4月の東京ビッグサイトで開催された「日本ホビーショー」には、3日間で約10万人(100、315人)のホビーファンが来場し、盛況裡に閉幕した。
そんな状況下、現在に至って、名古屋のハンドクラフトフェアが今回で終了、大阪の「OSAKA手づくりフェア」も昨年の開催をもって終わってしまった。時代が流れ、その役割が無くなってしまったのではなく、イベントを主催する団体や組合に、開催を維持する力(情熱も含めて)が無くなってしまったのだ。その業界が持つ魅力をアピールするイベントを自らの手で閉じてしまう。40〜50年続いてきた歴史にピリオドを打つ。非常に残念なことと言わざるを得ない。