第2238号 準備進む「大阪・関西万国博」
2023.07.15
気の早い話だが、大阪・関西万博が2025年4月13日から大阪・夢洲(ゆめしま)で行われる。50年以上も前の1970年、千里丘陵で開かれた大阪万博には6420万人が押し寄せ、戦後25年を経た日本の復興ぶりと底力を見せつけた。当時、開催地の隣の豊中市に住んでいたことあって、自転車で何度も会場に足を運んだことが懐かしく思い出される。そして今回、世界に向けて、さらに飛躍、発展する日本の姿をアピールする。実は小欄は、1964年ニューヨークでの万国搏も見ており、2010年の上海万博も合わせると、次が4回目の万博となる。
ところで、国際博覧会とは、「2カ国以上の国が参加した、公衆の教育を主たる目的とする催しであり、文明の必要とするものに応ずるために人類が利用することのできる手段または人類の活動の一もしくは二以上の部門において達成された進歩、もしくはそれらの部門における将来の展望を示すものをいう」とある。国際博覧会の歴史は古く、1851年、ロンドンのハイドパークで開かれた「第1回ロンドン万国博覧会」で国際博覧会が幕を開ける。この万博は通称「大博覧会The Great Exhibition」とも呼ばれ、25カ国が参加した。当時はビクトリア女王の時代、女王の夫アルバート公の活躍で開催にこぎつけ、世界でも大変な評判になった。この1851年といえば日本では嘉永4年、ペリー来航の2年前になる。そして、日本が初めて国際博覧会に出展したのは、1867年(慶応3年)の第2回パリ万博からで、当時は国際博覧会が一種の流行となっており、1年のうちに何カ所も博覧会が開催されていた。それまで東洋の小国だった日本が世界にデビューするきっかけとなったのも、この国際博覧会だったのだ。
第一次世界戦後には、現代の万博のように「テーマ」を持った万博が始まる。また、1928年には国際博覧会条約が署名され、「国際博覧会」はこの条約を基準に秩序をもって開催されることになった。そして、大阪で2度目の関西万博。大阪湾の人工島「夢洲」で、甲子園約100個分の390ヘクタールのうち、155ヘクタールが大阪万博の会場予定地になっている。会場整備費は計1250億円が見込まれている。開催テーマは「いのち輝く未来社会のデザイン」。少子高齢化や貧困、エネルギーなどの課題を解決するため、世界から最先端技術や英知を集める「未来社会の実験場」との位置づけである。この趣旨は、国連の「持続可能な開発目標」(SDGs)にもつながる。大阪府民としても、万博の成功を心から願っている。

ところで、国際博覧会とは、「2カ国以上の国が参加した、公衆の教育を主たる目的とする催しであり、文明の必要とするものに応ずるために人類が利用することのできる手段または人類の活動の一もしくは二以上の部門において達成された進歩、もしくはそれらの部門における将来の展望を示すものをいう」とある。国際博覧会の歴史は古く、1851年、ロンドンのハイドパークで開かれた「第1回ロンドン万国博覧会」で国際博覧会が幕を開ける。この万博は通称「大博覧会The Great Exhibition」とも呼ばれ、25カ国が参加した。当時はビクトリア女王の時代、女王の夫アルバート公の活躍で開催にこぎつけ、世界でも大変な評判になった。この1851年といえば日本では嘉永4年、ペリー来航の2年前になる。そして、日本が初めて国際博覧会に出展したのは、1867年(慶応3年)の第2回パリ万博からで、当時は国際博覧会が一種の流行となっており、1年のうちに何カ所も博覧会が開催されていた。それまで東洋の小国だった日本が世界にデビューするきっかけとなったのも、この国際博覧会だったのだ。
第一次世界戦後には、現代の万博のように「テーマ」を持った万博が始まる。また、1928年には国際博覧会条約が署名され、「国際博覧会」はこの条約を基準に秩序をもって開催されることになった。そして、大阪で2度目の関西万博。大阪湾の人工島「夢洲」で、甲子園約100個分の390ヘクタールのうち、155ヘクタールが大阪万博の会場予定地になっている。会場整備費は計1250億円が見込まれている。開催テーマは「いのち輝く未来社会のデザイン」。少子高齢化や貧困、エネルギーなどの課題を解決するため、世界から最先端技術や英知を集める「未来社会の実験場」との位置づけである。この趣旨は、国連の「持続可能な開発目標」(SDGs)にもつながる。大阪府民としても、万博の成功を心から願っている。
