第2257号 「Z世代」が新入社員となる
2024.04.15
 世の中すべてが4月に染まる。新しいことが始まる。そんな季節がやってきた。大阪でも、本町や淀屋橋のオフィス街の昼休みともなれば、着慣れていないスーツ姿の新入社員で溢れかえる。彼らは群れをなして行動するからともかく目立つ。そして、そこには清新の「気」も満ちあふれている。傍にいるだけで元気がもらえるのだ。そんな4月の和名は「卯月(うづき)」と言う。由来は、ウヅキの花である「卯の花」が咲く季節だからという説があり、もともと卯月は旧暦の 4 月を指す言葉だったが、現在は旧暦 4 月=新暦4月と考え、卯月は新暦の 4 月の別 名として使用されている。しかし、旧暦は太陰太陽暦という暦を使用しているため、単純に新暦に当てはまるわけではなく、旧暦の 4 月を新暦に換算すると 4 月下旬から 6 月上旬ごろ になるのだという。
 さて、2024年入社の大卒社員。彼らは大学生活の前半をコロナ禍で過ごし、授業がオンライン授業になったことにより、授業における先生や先輩などを含めた大人との交流を中心に、サークル活動、アルバイトに至るまで制限がある中で経験をしてきた。そのため、友人との遊び方ひとつとっても今までの大卒とは違う学生生活を強いられてきた中で様々な経験ができていない人が多くいる。つまり「先輩や大人、同級生との交流が少ない=大人との交流の仕方がわからない」という人が多いということとなる。もちろん、そのような人ばかりではないが、そういった一面を持っている人がかなりの割合でいるということも確かな事実である。
 また、2000年代前半に生まれた世代は「Z世代」と呼ばれ、スマートフォンやSNSなどが進歩した社会で育っていることが大きな特徴でもある。このような環境下では、自分を認めてほしいと思い、失敗できないと思い、受け身の傾向があるといった特徴があり、自分からアクションするよりも相手のアクションを待っている傾向が高い。さらに、自分から積極的に行動しない分、頑張って認められた経験も少ないという傾向も強く、生き方そのものが自分から積極的に行動できないからこそ経験が少なく、自己肯定感が低かったり、逆に狭い範囲で生きてきたからこそ自己肯定感が高かったりと様々なタイプの人がいる。
 でも、4月1日を境にどんな人にとっても、がらりと、それこそ180度環境は変わる。社会に出る、仕事をするということはそれなりの自覚と覚悟がいる。Z世代の人達も社会のなかで生き抜いていけるよう頑張ってほしいと、心からのエールを送りたい。
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第2256号 「お花見」に関する一考察
2024.04.01
 2024年もついに北上をはじめた桜前線。開花とともに春の到来を知る。日本の国花ともいわれる桜。桜は春の代名詞であり、古代より日本人のこころに深く影響を与え続けてきた。そんななか、大阪では4月5日から11日までの7日間、北区天満の大川端にある造幣局で「桜の通り抜け」が行われる。構内にある通り抜け通路560mに約140種類のサクラが植えられており、ほかでは見ることのできない珍しい品種も見ることができ、毎年多数の人達が観賞のために訪れる。造幣局では、数多くの品種のうちから一種を「今年の花」として選び、毎年紹介している。今年の花は、人気投票で選ばれた「大手毬(おおてまり)」に決まった。小欄も毎年、天満橋から天神橋までの大川沿いをぶらぶら歩いて、個人的な通り抜けを満喫している。
 桜は、開花から散るまでの期間が2週間足らずで、「花吹雪」となって散り行く姿は人の命の儚さになぞらえられ、その心情が日本人の心をとらえている。その花を愛でるお花見は、奈良時代の貴族が始めた行事といわれており、当初は中国から伝来した梅の花を観賞するものだった。平安時代に入り、お花見の花が梅から桜へと移り変わって行ったといわれる。桜の花でのお花見の起源は「日本後紀」によると、嵯峨天皇が催した「花宴の節」と記され、これがお花見が文献に初めて登場したものとされている。中でも歴史に残る盛大なお花見が、豊臣秀吉により行われたもの。徳川家康などの有名な武将を総勢5000人招いた「吉野の花見」と、醍醐(だいご)寺に700本もの桜を植えて行われた「醍醐の花見」。その壮大な様は権力者としての大きな力を世の中にあまねく見せつけた。
 ところで、桜の木は欧米でも多く植えられているのに、日本の花見のような風習はほとんどないという。その理由として、海外では外での飲酒が法律で禁止されているところが多かったり、冷めてしまった料理をそのまま食べる習慣があまりないことなどが挙げられる。桜の下でお酒を飲み、彩り豊かで「冷めてもおいしい」お弁当を囲むお花見は、やはり日本独特の風習といる。そして春になると、お花見が日本中の至るところで行われる理由のひとつは、日本人のマナーの良さにもある。日本人は海外でも「最もマナーの良い観光客」の第1位に選ばれるほど評価が高い。団体でお酒が入っても、大声で騒がない、節度ある行動がとれる国民なのである。今年も季節を彩る風物詩として楽しみたいと思う。
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第2254号 気付けば 近所の本屋さんが消えている
2024.03.15
 毎日の通勤は地下鉄を利用している。その車内では、座ることができれば、新聞か雑誌、文庫本を読む。周りを見渡すと、寝ている人および年金生活者と思しき老人以外は、ほぼ全員スマホを弄っている。一般人が、一刻を争う連絡事項があろう筈もなく、通信に使っているのか、何らかの情報収集か、ゲームに興じているのかは知らないが、小さな機械に心を奪われ、車内はピコピコ、ツーツーに充ちた空間となっている。気付かぬ間に、そんな大変な国になってしまっているのだ。その光景たるや、まさに遠い昔、評論家の大宅壮一氏が唱えた「一億総白痴化」の様相を呈している。
 その一方で、新聞や書物に目を通している人は激減している。国民の「活字離れ」が止まらない。
同時に「街の本屋さん」が全国で急速に姿を消している。1980年代には2万5000店を超えていたが、今や3分の1にまで減少し、最近20年間に限れば半減した。書店が1店もない市区町村は4分の1にものぼるという。自分の住んでる町に本屋が無いということは、車がない人にとっては、電車かバスを使わなければ一冊の本も手に入らないという事態が起きているのだ。1980年代には2万5000店を超えていた書店が、今やその数3分の1にまで減少し、最近20年間に限れば半減してしまった。
 ふと気がついたら、近所の本屋さんが消えていたという経験がある人も少なくないのである。こんなことに立ち至ってしまったのは、読書習慣の減退による本離れ、ネット書店の伸長、電子書籍の普及、過疎化・少子化の進行など、さまざまな要因が複合的に絡み合って、書店を取り巻く環境が激変し、廃業に追い込まれるケースが続出しているからだ。読者と直接つながっている書店は、ますます存在感を失い、瀕死の危機に直面している。今や書店は「絶滅危惧種」の感さえあると指摘されている。
 当然のことながら、紙書籍の市場はこの3年間で7%もダウンし、1兆2000億円規模に縮小している。1998年に約2万2000軒あった書店は、毎年3〜5%のペースで減少し、2021年には約1万1000件と22年間で半減した。この数字は、ピーク時と比べると半分以下の水準である。
 このように、書店数は年々縮小傾向にあり、20年前の6割程度まで減少している。週刊誌や月刊誌の販売が芳しくなく、コミックも電子出版への代替から中小書店の経営を圧迫した。一方、大手書店は好調に推移し、中小書店と明暗を分ける状況にある。最近では無人書店など新たな形態の書店も登場してきている。
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