第2282号 何度も行ってみたい「大阪万博」
2025.05.01
大阪万博が4月13日から始まった。6カ月間にわたり、世界158の国と地域が集い、「いのち輝く未来社会のデザイン」を掲げる壮大なイベントの開幕だ。では、大阪の町は万博で沸いているのか。答はノーで、開幕1週間が経った今、中国からの人が多少増えたくらいで街は普段と何ら変わりなく動いている。とくに学生から20代の若い人達の関心が薄いという。大阪万博に関する開催告知はテレビ・ラジオ、新聞などのマスメディアが中心で、SNSなどの今のツールは余り使われなかったことも、その原因のひとつとされる。運営側の上の人達の年齢の高さもも指摘されている。とくに、開催初日は、あいにくの悪天候に見舞われ、14万人の入場者が強風や雨にさらされたほか、通信障害、長蛇の列とトラブルが重なり、SNSには批判的な投稿が溢れた。
その後も「爆弾騒ぎ」や火災報知器が鳴ったなどが続き、その都度トラブルを強調する報道も目立っている。そして何より、今回の大阪万博については開始前からネガティブな評判や報道が相次いだ。ともあれ、諸事情があっても、スタートしたのだから大阪府民としては、成功を祈るほかはない。
今回万博に関しての事前の調査によると、年代別では「行きたい」と答えたのは、1970年の大阪万博後に生まれた世代である18〜29歳が45%、40代が45%と比較的多い。これに対し、60代25%、70歳以上22%と、高齢層ほど低調だった。
ところで1970年の大阪万博(大阪府吹田市)の時には25才で結婚したばかり。お隣の豊中市の北の方に住んでいたので、休みの日には自転車に乗って20分ほどの道のりを、幾度となく会場に通った。まず何より感じ取ったのは、会場にあふれていた未来都市のイメージだった。見たことのないデザインの建築物や、未来を具現化してくれたワイヤレス電話などの展示物は今でもはっきりと覚えており、その場にいるだけで心が高揚した。同時にそれまで知らなかった外国との交流も魅力的で、各国のパビリオンでは、民族土着のデザインや、肌や目の色が異なる人たちとも交流できた。見ること・聞くことのすべてが新鮮だった。
1851年にロンドンで産声をあげた万博は当初、それぞれの国力や産業力を示す場としての役割を果たした。アジアで最初に開催された万博となった1970年の大阪万博。テーマは「人類の進歩と調和」で、高度経済成長期にあった日本の産業力を世界に知らしめた。あれから55年。再び同じ大阪で迎える万博を楽しみたい。
その後も「爆弾騒ぎ」や火災報知器が鳴ったなどが続き、その都度トラブルを強調する報道も目立っている。そして何より、今回の大阪万博については開始前からネガティブな評判や報道が相次いだ。ともあれ、諸事情があっても、スタートしたのだから大阪府民としては、成功を祈るほかはない。
今回万博に関しての事前の調査によると、年代別では「行きたい」と答えたのは、1970年の大阪万博後に生まれた世代である18〜29歳が45%、40代が45%と比較的多い。これに対し、60代25%、70歳以上22%と、高齢層ほど低調だった。
ところで1970年の大阪万博(大阪府吹田市)の時には25才で結婚したばかり。お隣の豊中市の北の方に住んでいたので、休みの日には自転車に乗って20分ほどの道のりを、幾度となく会場に通った。まず何より感じ取ったのは、会場にあふれていた未来都市のイメージだった。見たことのないデザインの建築物や、未来を具現化してくれたワイヤレス電話などの展示物は今でもはっきりと覚えており、その場にいるだけで心が高揚した。同時にそれまで知らなかった外国との交流も魅力的で、各国のパビリオンでは、民族土着のデザインや、肌や目の色が異なる人たちとも交流できた。見ること・聞くことのすべてが新鮮だった。
1851年にロンドンで産声をあげた万博は当初、それぞれの国力や産業力を示す場としての役割を果たした。アジアで最初に開催された万博となった1970年の大阪万博。テーマは「人類の進歩と調和」で、高度経済成長期にあった日本の産業力を世界に知らしめた。あれから55年。再び同じ大阪で迎える万博を楽しみたい。